Jan 03, 2009
日本は、会社の設立を容易にダウンロード
決して詳しくはないのですが、私の友人に聞いた話が正しいものとすれば、日本で会社設立するのは非常に簡単なようです。特に、欧米諸国と比べると、日本で会社設立するのは簡単だと思う。それでも会社を設立しようとしている人は少ないようだがね。西洋人とは違って、国民性の問題かなと思います。事業資金を安易に考えてはいけない。明日の供給の支払資金が不足するといってクレジットカードのキャッシング枠やカードローンを利用して事業資金を確保することだけは避けなければならない。そんなことをしているといつまで経っても自転車操業で、傾斜面になってしまうのだ。少し先を考えてみるといい。
江戸時代の東海道沿いに広がっていた「松原」の歴史的事実を後世に伝え残そうと、平塚市の歴史愛好家でつくる「馬入の歴史連絡協議会」(杉山嵩会長)が、跡地の松原公民館敷地内(同市八千代町)に記念碑を建立した。
同市の相模川そばの馬入地区には、江戸期に長さ約430メートル、奥行き9メートルの豊かな松林があったという。今では名残は見られないが、松原公民館や松原小学校などの名称でゆかりを知ることができる。
2003年度から地域の歴史民俗や文化の再発見を続けているメンバーが「東海道網目分間之図」や「新編相模國風土記稿」など歴史的資料に基づいて松原跡を特定した。建立した石碑は高さ2・4メートルと1・6メートルの柱状で「東海道馬入松原跡」の文字などが刻まれている。先月29日に市に寄贈した。
同協議会は06年に「東海道馬入の渡し跡」、翌年には「馬入渡川会所跡」、09年には「東海道馬入一里塚跡碑」の石碑を建立し、土地の記憶を残している。同会メンバーは「建碑の集大成」が完成し、喜んでいる。
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秋田の蔵元5社のグループ「NEXT5」が4月17日、東日本大震災支援企画「パッション2011」をアートスペース「ココラボラトリー」(秋田市大町3)で開く。(秋田経済新聞)
【画像】 東日本大震災支援企画「パッション2011」フライヤー
「甚大な被害を受けた被災地の蔵元を支援できないか」と同グループに参加する若手経営者5人が、収益金を被災地の酒造組合への義援金に充てるチャリティーイベントを企画した。
当日、新酒の生酒など各社が5銘柄ずつ計25銘柄ほど持ち寄った試飲会を開くほか、希少な日本酒や古い看板など酒蔵ならではのアイテムを出品するチャリティーオークションも開く。岩手や福島の被災状況を視察してきたメンバーが、これからの日本や日本酒をテーマに被災地支援のメッセージを込めたトークタイムも設ける。
グループのメンバーで新政酒造(大町6)の佐藤祐輔専務は「観桜会の自粛ムードもあるが、冠婚葬祭の儀式に用いられる日本酒は日本人にとって特別なもの。イベントが被災地の一刻も早い復興の一助になれば」と参加を呼び掛ける。
開催時間は12時?17時。入場料1,000円。入場料などイベント収益の全額を被災地の酒造組合への義援金に充てる。問い合わせは山本友文さん(TEL 0185-77-2311)まで。
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横浜ランドマークタワーを仰ぎ見るピッチで、初めて出会う仲間と流した汗は格別だった。福島第1原発事故の影響で避難が続く福島県南相馬市の一家が3日、みなとみらい21地区の「キャプテン翼スタジアム」で開かれた同市を支援するフットサル大会に特別参加。「また一緒にプレーできる日まで頑張る」。温かい支援と、苦境を乗り切る勇気を受け取っていた。
横浜市西区に住む熊倉完至(みつのり)さん(34)が、学生時代から縁のあった南相馬市を長期的に支援しようと、「使途の見える」支援基金「南相馬トレーサブル・チャリティー」の創設を発案。設立に向けた記念のフットサル大会を短文投稿サイトで知った南相馬市の齋藤大さん(30)と幸子さん(29)夫妻が「南相馬のために遠くの方たちが行動してくれている」ことに感謝の気持ちを伝えるため、急きょ駆け付けた。
サッカースクールを営む齋藤さんの自宅は福島第1原発から約25キロの距離で、屋内退避区域。妊娠3カ月の幸子さんと長女(7)、長男(4)は被ばくの心配から会津若松市の親戚宅に避難している。齋藤さんは母親(52)と自宅に残るが、食料品は配給に頼る生活。歯みがき粉などの日用品は不足しているという。
屋内退避が解除されるまで学校は休校で、長女の転入学先を探さなければならないが、親戚宅から通わせるか決めかねている幸子さん。二重生活の経済的な負担も重く、自宅での平穏な暮らしにいつ戻れるのか、見通しの立たない現状にいら立ちを隠さない。
外出する人はまばらで物資の流通が滞る地元に比べ、人や物があふれる首都圏は齋藤さんには「別世界」に映った。「震災にはもう関心がないのか」とも思えてしまった。それでも手作りの支援イベントに8チーム約60人が集まった。「感謝の一言しかない」という齋藤さんは、各チームに大きな声援を送り、自らも屋内退避のストレスを晴らすように華麗な足技を披露した。
「また一緒にサッカーをしましょう」。終了後のあいさつで、齋藤さんは再会を誓った。garuda.weboo15.info「約束を果たすことを、これからの生活の励みにしたい」
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